2021年12月に化学物質過敏症を発症したと思ったのだが、人生を振り返ってみると、化学物質の影響を受けていたと思われる体調不良や病気がたくさんあった。
もはやいつ化学物質過敏症を発症したかわからないが、化学物質の影響もおそらくあって体調不良や病気になっていた出来事を振り返ってみる。
小4 自律神経失調症
小学4年生のときの担任の先生が、名札(当時は名前を書いた札を服につける決まりになっていた)を忘れた児童に対して、着ている服の特徴で、「そこの黄色Tシャツ」とか「そこのシマシマ」とか読んでいた。
自分は名札を忘れることはなかったが、時々名札を忘れていない児童に対しても、服の特徴で呼ぶことがあり、自分も変な呼び方をされるのではないかと思って怖かった。
大人になった今その出来事を思い返してみると、なぜそれがそんなにも怖かったのか少し不思議だが、当時はとにかく怖くて、ストレスを感じて、朝起きるとお腹が痛くなって、学校に行けなくなった。
心療内科で自律神経失調症と診断され、学校をしばらく休むことになった。
また、その担任の先生はなんか臭かった。
その担任が家で防虫剤か何かを使っていて、その臭いが服についていたのかもしれない。
それと同時期に、地域で公害があった。
微量だったから普通の人には影響のないくらいだったのかもしれないが、化学物質耐性が低いあるいは感受性の強い体質の自分は、その影響を多少受けていたのかもしれない。
25歳 副流煙による肺炎からの長引く咳
25歳のときに働いていた職場の隣の事務所の人がベランダでタバコを吸っていたり、灰皿がおいてあったりして、その副流煙が職場に入ってくることがあった。
副流煙をたくさん吸ってしまったあと、風邪をひいてこじらせてしまって肺炎になった。
何種類もの抗生物質と、咳止め薬と去痰剤と胃薬と整腸剤を、2週間にわたって飲み続けて治ったが、そのあと長いあいだ咳が続いていた。
病院からは、咳は1か月くらい続くと言われていたが、半年くらい続いてしまった。
咳は、寝る前に特に悪化していた。
当時は、長引く咳は肺炎の後遺症的なものだと思って自然と治るのを待つしかないと思い、病院には行かなかった。
だが、その数年後、風邪のあとの咳が長引いて辛かったときに病院に行ったら、夜に悪化する咳はアレルギー性の咳の可能性があると言われ、アレルギー反応を鎮める薬をもらったら咳が数日ですぐにおさまった。
もしかしたら、肺炎後に長引いた咳は、枕のウレタンフォームやハウスダストに反応していて、化学物質やアレルギー物質へのアレルギー反応の咳だったのかもしれない。
肺炎が治ったあとの長引く咳のためにもう一回すぐ病院に行っていれば、咳もすぐに治まったのかな、と今では思う。
そして、もしこの時に、化学物質過敏症のことを知っていたなら、受動喫煙によって化学物質過敏症を発症し、ウレタンフォームから出るイソシアネートに反応して咳が出る過敏症の症状だと思ったかもしれない。
26歳 抗生物質服用後のうつ病
肺炎が治ったあとに咳が続いて、仕事を続けられないと思って仕事を辞め、その後しばらく経ってからうつ病になった。
このうつ症状も、もしかしたら副流煙を吸い込み、抗生物質を大量に服用した結果の、化学物質過敏症の抑うつの精神症状だったと、解釈することもできる。
当時は化学物質過敏症のことは知らず、ほぼ毎日気分が落ち込んで、悲しくてどうしようもなくて、体も毎日だるかったので、自分はうつ病ではないかと疑い、心療内科に行った。
そして心療内科でうつ病と診断された。
副作用の少ない抗うつ剤のジェイゾロフトを処方され、飲み始めた。
気持ちはだんだん前向きになっていき、倦怠感も和らいでいった。
体調が落ち着いてきたころ、MOS資格を取得するためのビジネススクールの受講を再開した。
そのビジネススクールで、ものすごく香水の香りが強い人がいて、5m離れていても香っていたので、その人と居合わせたときは、スクールの人に相談して、私はだけ別室で自主学習をさせてもらったりしていた。
私以外の人は、その香水の匂いが強烈な人がいても平然とパソコンの自主学習をやっていた。
もしかしたらその時も、化学物質に大量に曝露、摂取した影響で、化学物質過敏症によくある嗅覚過敏の症状が出ていたのかもしれない。
まぁ元々私の嗅覚が鋭いだけかもしれないが。
近年,嗅覚に関わる遺伝子の配列が個々人で違うことが,匂いの感じ方の個人差を生む一つの要因になっていることが示された。
嗅覚と化学:匂いという感性
10か月ほど休養を取って、その後、東京の23区内で働けるレベルの肺には戻らなかったので、多摩地域で働くことにした。
このときに、自分が化学物質過敏症だと思い込んで「不治の病」宣告されていたら、もしかしたらそのまま再就職することもなかったかもしれない。
そのとき自分が、自分はうつ病かもと思い、心療内科を受診し、医師から、「うつ病は治りやすい病気です。」ということを説明した紙を渡され、それを読んで療養したから、再就職ができるまでに回復できたと考えることもできる。
この時に、もし自分が化学物質過敏症だと思っていたら、23区内で働けず、多摩地域なら働けるレベルになったことを、化学物質過敏症が寛解したと捉えていただろう。
もはやいつ化学物質過敏症を発症したかわからないのまとめ
今思い返せば、小さい頃から化学物質に弱い体質だったと思う。幼稚園や小学生のころ鼻血がしょっちゅう出ていたのも、大気中の化学物質に反応していたのかもしれない。
外で働いていたとき、月に3日くらいしかお腹の調子が良いときがなく、毎日仕事から帰ってくると体がぐったりしていたのも、大気中や職場の建物内の揮発性有機化合物などの影響を受けていたのかもしれない。
化学物質過敏症を完全発症した2021年12月以降、症状はかなり辛いときもあったけど、人生を思い返してみれば、25歳のときに風邪をひいたときに、近所の内科に行って漢方薬を出されて服用したが全然治らなくて、総合病院にいって肺炎と診断されるまでの1週間くらいが、本当に死ぬのかと思うくらい体が辛かった。
あれ以上に体が辛かった経験は、その後約9年生きてきたが、一度もない。
化学物質の影響で苦しんで、化学物質で生かされて、今がある。
あのときの肺炎で死んでいたら、その後再び働いて、一人暮らしして、恋愛して、結婚して、個人事業主になるという、この9年間がなかったと考えると、化学物質で生かされて良かったなと思う。
まぁ、肺炎で死なずに生きながらえてしまったから、こんなくだらない合成香料入り柔軟剤や抗菌消臭合成洗剤の揮発性有機化合物で苦しむとかいうことにぶち当たってしまったが。
兎にも角にも、私的には個人事業主になったということが、自分の人生で100点満点を自分にあげたい出来事なので、もう既に私の人生は100点満点。
だから化学物質過敏症になろうと、残りの人生は余生みたいなもんだから、まぁ力を抜いてやっていこうと思う。
化学物質過敏症を発症したように捉えられる出来事は人生のなかで何度かあった。
けれども化学物質過敏症だと思わず、不治の病という宣告もされずに、自律神経失調症やうつ病と診断されて、治りやすい病気と言われたから、治ったか寛解して今まで普通に生きてきた。
だから、多くの人は、たとえ化学物質過敏症になったとしても、不治の病だと信じ込まなければ、そのうち治るか寛解して、またそれなりに健康な生活を送っていけるんだと思う。
必要だったり、本当は必要じゃなかったりもする、化学物質にまみれたこの世界で。
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