20代くらいまでは、自他ともに認める努力家だったのだが、ある時期から努力することって必要なのか?と疑問に思い始め、今では努力不要論者になった。
そんなわけで、私がどういうことを思って努力をやめたのか、なぜ努力が不要であるのか、について書いていく。
努力不要論の続編はこちら↓
努力は効率が悪い
「努力しなきゃ」と思ってしまう時点でその分野は自分にとって最も才能のある分野ではない。
自分にとって最も才能のある分野は、努力しようと思うこともなく自然と楽しみながら、あるいは呼吸するかの如く当たり前に日々やれていること。
他の人から見たら大変なことなのに、自分は全く苦にせず、大して意識すらしなくても自然にできてしまうようなこと。
この分野は自分の超絶得意分野なので、自分自身で気づいていないことも多い。
自分が自然とやりたくなることだけをするのがベスト
自分が楽しいと思えることや、自然とやりたくなること、打ち込めることをやるのがベストで、それが最も効率がいい。
自分が楽しいと思えることなら、自分が疲れていたりお腹が空いていたりトイレに行く必要があったりする状況にさえ気づかずに、夢中になって限界までそのことができてしまうことだってある。
そんなに楽しくないけど、何か別の目的のためにやるという感じだと、そういうものは結局長続きしない。
何の役に立つかをいちいち考えるのではなく、それ自体を楽しもう。
pha『しないことリスト』 p.167
得意なことを伸ばすことは否定しない
得意なことについて、努力してもっとスキルを上げたり、苦手なことを頑張って何とかできるようにしたりするのも、良いことではある。
ただ、それを本当に自分がしたいと思っているのか、もう一度自分自身に質問してみるべき。
自分が本当にしたいと思っていることでなく、他人から言われたからとか、何となく「英語くらいできないとダメ」とか、「今時プログラミングくらいできた方がいいよね」とか、そんな理由でやっているのならやめてしまえと言いたい。
せっかくの時間なので、自分が幸せになるために使う方がいいと思うんですよね。ただ、世間の常識とか上司に言われたとか、あなたの人生にはなんの責任も持たない人の意見を重視しちゃってる人はけっこう多い気がします。
ひろゆき『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』 p.246
努力する段階があってもいいが、辛い努力はするな
おそらく多くの人が、まず努力することを経験してみないと、努力が効率が悪いことに気づけない。
日本では努力が美徳のように扱われているので、人生の中で一度も努力せずに生きられる日本人は少ない。
ほとんどの日本人が、人生のどこかのタイミングで何らかの努力をしている。そのことは悪いことではないし、否定しない。
ただ、努力をすることで、自分が辛くなってしまったり、「もうこれ以上努力できない」とか「自分は努力が足りない」とか思って、さらに「自分はダメな人間なんだ」と思い始めてしまったらそれは違う。
努力は必ずしも報われるわけではありません。苦労すること自体が楽しいんだったらいいのですが、苦しいだけで地獄のような時間を過ごしているなら、そろそろそこに気づいて抜け出したらどうですかね。
ひろゆき『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』 p.120
無意味な能動的な活動をするな
最近多いらしいのが、能動的に活動していなければいけないという強迫観念に駆られている人たち。
自分が大して楽しんでもいないのにYouTubeをアップするとか、むやみにSNSで人気者になろうとするとか。
能動的でいなければという強迫観念からやっている活動では自分固有のものは生み出せない。
周りがやっているから自分もやらなきゃみたいにやっている能動的な活動なんてやっても意味ないし、なんならやらない方がいい。
自分が打ち込めることだけやって、それがないなら何もしない方がマシ。
多くの仕事を低い質のアウトプットで食い散らすことで、仕事が荒れ、高い質の仕事を生むことができなくなる可能性が高い。つまり「犬の道」を歩むと、かなりの確率で、「ダメな人」になってしまうのだ。
安宅和人『イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」』 p.29
自分には打ち込めることがないと思っている人
自分には楽しいと思えることや、自然とやりたくなること、打ち込めることなんてないという人、そういう人は、やるべきことや他人からやらされていること、本当はやる必要がないのにやるべきであると自分に強いていることに人生の時間がほぼすべて取られていて、本当の自分の時間というものが取れていない。
自分の時間の必要性
自分の時間、暇な時間がない状態の生活を長く続けていると、自分が楽しいと思えることや、自然とやりたくなること、打ち込めることが本当はあったはずなのに、忘れてしまったりわからなくなってしまったりする。
他人の時間を生きることからの解放、すなわち、無の時間、暇な時間が必要。
受け身の娯楽を満喫した後にやりたいことが見つかる
まずは、自分が楽しいと思えることや、自然とやりたくなることを思い出して、その活動に没頭することが大事。
受け身の娯楽でもいい。
その受け身の娯楽を思いきり堪能したその先に、自分が能動的にやりたいと思うことを見つけることができる。
少なくとも私はそれで見つけることができた。
見つからないこともあるかもしれないけど、他人の時間を生きている人は、自分が本当にやりたくて且つ能動的なことは何かを見つける機会を喪失していることは確か。
やるべきことに追われて時間がないと、何も考えられなくなる。自由に使える時間を確保し、「自分だけの価値」をつくり出そう。
ひろゆき『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』 p.153
【努力不要論①】努力家だったけど努力するのやめましたのまとめ
私自身は、努力が不要であるという考えに至ったが、努力するのが好き、努力して自分を高めたいという時期もあると思うし、辛いことを頑張ってやること自体が好きな人もいるので、他の人が努力をすること自体は否定しない。
ただ、努力するのが辛くなってしまったときは、思い切って努力をやめて受け身の娯楽をとことん堪能するのも、長い目でみたら有益なことだということをご理解いただければ幸いである。
参考文献・おすすめ本
私が努力不要論に至るまでに読んだ本や、この記事を書く上で参考にした本を3冊紹介します。
しないことリスト
努力するのが辛くなってしまったときにおすすめの本はこちら。
「だるいな」「なんかやる気しないな」と思った時点で、それは方向性とかペース配分とか、何かが少しうまくいっていないということなのだ。
pha『しないことリスト』 p.73
だるさを感じたときは、自分のやっていることをちょっと見直す機会だと思うといいだろう。
「しないことリスト」の文庫版はこちら↓
なまけもの時間術
努力するの疲れたから努力をやめようかなと思った人におすすめの本はこちら。
ありもしない不安に駆られて、大して興味もない資格を取るくらいなら、自分の好きなことでどうにかする方向を探る方が、楽しいんじゃないですかね。
ひろゆき『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』 p.152
イシューからはじめよ
「努力を完全にやめるのはちょっと…」という人におすすめの本。努力する前にまずはイシューを見極めましょう。
たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットをスケジュールとおりに、あるいはそれより前に生み出せていれば何の問題もない。「一所懸命にやっています」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める世界では不要だ。
安宅和人『イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」』 p.35
ちなみに、この『イシューからはじめよ』は、AmazonのAudibleに対応しています。
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努力不要論のつづき
努力不要論②はこちら↓
努力不要論③はこちら↓
【努力不要論③】努力しなくても目的を達成できる道がある